【第7回定期演奏会】

ヘンデル 「水上の音楽」・弦楽版  抜粋

「水上の音楽」はG.H.ヘンデル(1685-1759)により、1717年に作曲されました。当時の英国王ジョージⅠ世とその後を継いだジョージⅡ世一行のテムズ川船遊びのために書かれたというエピソードは有名で、当時の新聞記事などによれば、この王様の船遊びでは50人にものぼる演奏家たちがいくつもの船に分乗して、王様や貴族の乗っている船に並走しながら

音楽を奏でたそうです。…なんとも贅沢な話ですね!

オリジナルの楽譜は失われているため作曲された当時の楽器編成・曲の配列などは不明ですが、現在では大きく3つの組曲にまとめられているものがよく演奏されます。今回は、管楽器(トランペット・ホルン・オーボエ・ファゴット)が入っている通常のものとは異なり、弦楽合奏のみに新たに編曲し直した、都島ストリングス・オリジナルバージョンで演奏します。

第1曲目のOuvertureでは各ソロ・パートと全体合奏との掛け合いがありますが、さて、本番上手くいきますかどうか…?パート・リーダーの皆さん!頑張ってくださいね。        

 1.Ouverture 2.Adagio e staccato 3.Allegro 4.Air  

バッハ:管弦楽組曲第2番ロ短調 BWV1067 フルート独奏 吉田真維

バッハが作った管弦楽組曲(現存するのは4曲)の中で、もっとも有名な曲です。フルートが独奏楽器のように活躍し、フルート協奏曲的な雰囲気のある曲です。後半の舞曲が続く部分は、親しみやすい旋律の曲が多く(特に最後のバ ディネリ)、バッハの曲の中でも特に親しまれている名曲です。

 

第1曲 フランス風序曲。全曲の半分近くある長大な楽章です。まず付点リズムとトリラーが特徴的なグラーヴェで始まります。中間部はアレグロになりフルート独奏が入るフーガになります。その後、再度、最初のグラーヴェが再現しますが、導入部とは異なりもっと旋律的な3拍子の曲です。

第2曲 序曲に続いて舞曲が続きます。最初はガヴォット風のロンドです。哀愁のあるメロディがリトルネッロ(反復楽句)として何度も出てきます。

第3曲 サラバンド。ゆったりとした荘重な舞曲です。フルートと第1ヴァイオリンがユニゾンでメロディを演奏し、カノン風に展開していきます。

第4曲 ブレー。フランス中央部のオーヴェルニュ地方起源の舞曲で、歯切れの良い4拍子です。2つのブレーから成っています。第1ブレーは全楽器のトゥッティで演奏され、第2ブレーはフルートが軽やかなソロを聞かせます。再度第1ブレーが戻ってきて終わります。

第5曲 ポロネーズ。ポーランドの宮廷で流行した舞曲。2つのポロネーズから成っていますが、第2ポロネーズは第1ポロネーズの変奏(ドゥーブル)になっているのが特徴です。第1ポロネーズの美しい主旋律が、第2ポロネーズでは通奏低音に現れるのが面白い点です。その上で華麗に動くフルートも聴きものです。最後に第1ポロネーズが再現して終わります。

第6曲 メヌエット。くり返しを除いてわずか24小節でドゥーブルを備えず単独です。

第7曲 バディネリ。全曲中いちばん特徴的な楽章です。バディネリというのは舞曲名ではなく、「冗談」という意味です。こういう曲を最後に置いた辺り、バッハにも意外に洒落っ気があるようです。弦楽器のスタッカートの伴奏の上に、フルートが軽やかに動き回ります。フルート奏者の腕の見せ場となる素晴らしいフィナーレです。

 

今日はフルート奏者に吉田真維さんを迎え、彼女の柔らかなフルートの音色と共にエレガントな世界を表現できたら と思います。 

モーツアルト:ディベルティメント K138

幼いころからヨーロッパの大都市で研鑚を積んだモーツアルトは、13歳から15歳にかけての多感な時期をイタリアで過ごしました。本日演奏いたしますディベルティメント K.138は16歳のモーツアルトがイタリア旅行を終えザルツブルグへ帰郷したころに作曲した3つのディベルティメントの最後の曲です。                

曲名はイタリア語の「気晴らし、娯楽」を語源に持つディベルティメントとされていますが、交響曲的な性格から「ザルツブルグ・シンフォニー」といわれたり、イタリアでの影響が各所に色濃く反映されていることから「イタリア風序曲」と呼ばれることもあります。

 第1楽章 Allegro 第2楽章 Andante 第3楽章 Presto  

スーク:弦楽セレナード変ホ長調 Op.6

ヨセフ・スークは1874年にチェコの都市クレチョヴィーチェに生まれました。(同姓同名の有名なヴァイオリニストは彼の孫に当たります) スークは11歳から18歳まで、プラハ音楽院にてドヴォルザークのもと音楽を学びました。その音楽院での最後の夏、ドヴォルザークはそれまで短調の暗い曲ばかり書いていたスークに「夏なんだから、ちょっと気分転換に何か明るくて生き生きしたものを作ってみなさい!」とアドバイスし、別荘に招待。そこでスークはドヴォルザークの娘であるオチルカに一目ぼれし、この弦楽セレナードを作ったと言われています。当時18歳という若さにも関わらず、豊かな旋律や手の込んだ構造には成熟されたものを感じさせられ、その明るい曲調はエルガーやホルスト、ブリテンなどに引き継がれています。

 

第1楽章 Andante con moto

4分の4.三部形式。行進曲風の主部と優美な中間部から構成されます。愛らしい旋律が続き、暖かい雰囲気に満ち溢れます。時折現れる軽快なリズムにスークの高鳴る鼓動を感じることができるでしょうか。

第2楽章 Allegro ma non troppo e grazioso

4分の3.三部形式。ワルツ風の楽章。2人のワルツのステップは軽やかだったり、突然重くなったり、じれったく近づいたり離れたり。中間部の切なく揺れ動く様はスークの胸の高鳴りのようです。

第3楽章 Adagio

4分の4.三部形式。それぞれ別々に始まったチェロとヴァイオリンのメロディは、伸ばした手と手が繋がったように重なり合います。突然現れた不安も悲しみも、優しいメロディが包み込んで終わります。

第4楽章 Allegro giocoso, ma non troppo presto

2分の2.ロンド風の躍動的な楽章。風をきってスークがオチルカのもとへ駆けて行くように勢いよく始まります。きっと作曲中オチルカに会いたくて仕方なかったんでしょうね。最後は2人がただ広い原っぱを駆け抜けていくように終わります。

 

スークはその後、1898年(24歳の時)めでたくオチルカと結婚。その3年後には男の子を授かります。しかし、スークが31歳の時、最愛のオチルカは若くして他界。悲しみの中、彼は息子のために「お母さんのこと」という曲を作曲しました。それほど愛したオチルカとの恋のセレナード。スークのオチルカへの想いを少しでも感じていただければ幸いです。 


フルート独奏 吉田真維

13才よりフルートを始める。

第51回全日本学生音楽コンクール大阪大会入選。

2004年神戸女学院大学音楽学部卒業。

東大阪市新人演奏会出演。

その後渡仏し、2007年パリ区立音楽院ポール・デュカス卒業。

ハノーファー音楽大学夏期音楽アカデミーにおいてF.レングリ氏、その他ビアリッツ夏期音楽講習会、サンシー・モンドール国際音楽アカデミー、フランス-チェコ音楽アカデミーに参加し、P.レズグルグ、

P.ボキヨン各氏のマスタークラスを修了、ディプロムを取得。

2007年フランスの“Jeunes Espoires”フルートコンクールにおいて1位入賞。

2009年フルート・ヴィオラ・ピアノによるジョイントリサイタルを開催。演奏グループ「ブレーメン」のメンバーとして病院や学校等を訪問したり、最近では商業施設や各地ホール等で東日本大震災のチャリティーコンサートを企画するなど、ソロやアンサンブルで精力的に演奏活動を行っている。

フルートを国友重紀、西田直孝各氏、カトリーヌ・カンタン女史に師事。

指揮 南出信一

16才よりコントラバスを始め、1972年 京都市立芸術大学音楽学部に入学。入学と同時にテレマン室内管弦楽団に入団、在学中にハンガリーのコダーイ弦楽四重奏団とシューベルトの『鱒』を共演し好評を得る。

1993年、左手人指指故障により同楽団を退団。翌年フリーの演奏家として復帰、現在に至る。

コントラバスを西出 昌弘氏、ゲ-リ-・カ-氏、室内楽を故、黒沼 俊夫氏、ゲルハルト・ボッセ氏、指揮を堤 俊作氏に師事する。

現在、神戸女学院大学、京都市立音楽高校、兵庫県立西宮高校の各音楽科講師、和田山少年少女オーケストラ指揮者、ライツ室内管弦楽団を主催。